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採集ブログ

珍しいものメモ

 99歳
[ No. 329 ]

一昨日、祖母が誕生日をむかえました。
年齢を聞いたら99歳でした。
母たちが白寿の「誕生祝い」をしたそうです。
自分も顔を見たかった。

自分の「ばあちゃん」は、
長寿なほうだとは思っていましたが、
実年齢で99歳と聞くと、
改めて、「年齢」の持つ重厚感を感じます。

99年前というと、
西暦だと1917年になります。
元号では大正6年。

大正、昭和、平成と、
三つの「元号」を生きていて、
その間の文明の進歩を見てきた事になりますね。

祖母が生まれた頃、
「電話」は既にあったとは思いますが、
かなり特別なものだったのは容易に想像できます。

もちろんテレビ等はまだありません。

そういう時代から、
今の時代までを見てきているって、
「凄い事なのでは?」
と思ってしまいます。
本人に会って、
「どう思う?」って聞いてみたいけど、
こういうのは意外とうまく伝えられず、
ちゃんと聞けないモノの様な気がします。

特に今は、
何をするにもインターネットの存在を、
無視出来ない世の中になっています。

生活するうえで、
「インターネット」が使えないとダメ。
という訳ではないので、
触れないで生きていく事も普通にできますが・・・。
何ぶん、このワードは、
何かにつけて眼や耳には入って来るので、
無視はできませんね。

99歳。
元気印のばあちゃん。
普通に生活しています。
さすがに、
携帯電話やスマホは持っていません。

スマホを使いコナしていたら、
それはそれで恐ろしいのですが。笑

話しは少し脱線します。

「元号」について。

ちょっとWikipediaで調べたら、
この元号というものは、
飛鳥時代あたりから始まっている事を知りました。

飛鳥時代から、
今の平成まで、
約250の元号が継承されて今に至っているんですね。

飛鳥時代、
奈良時代、
平安時代、
鎌倉、
室町・・・・。
と続いて平成までくる訳です。

その中で、
元号の「最短記録」は1年。
という時代がありました。
奈良や平安時代あたりの事で、
大きな震災や病気の蔓延などが原因で改号したと書いてありました。

「最長」は64年で昭和です。
その次に長いのが45年で明治。

明治から平成までで148年間。
元号が明治、大正、昭和、平成で4つです。
・・・書くまでもないですネ 笑

それに対し、
平安時代は379年間。
どうでしょう、
そんなに長かったのか!と思うのは自分だけでしょうか。
その間に元号は95回も変更されています。

現代に一番近い年数は鎌倉時代の147年間。
ですが、
それでも元号は48回も変更されています。
3年に1度の割合で元号が替わるって信じられません。

江戸時代も長いんですね。
253年間です。その間に35回も元号が替わります。
一つの元号あたりの期間が約7年。
短すぎて落ち着きませんね。
「あれ?今は何だっけ、元禄でしたっけ?」
自分だったら多分、そうなります。

ここからは自分の想像のお話しですが、

飛鳥時代から明治時代に至るまで、
だいたい1,000年の歳月を要します。
それは果てしなく長い年月で、
この間の文明の発達は計り知れませんね。
原始時代からの進歩を考えると、
現代のインターネットの発明どころの話しではない様に思えます。
しかし、
これだけ元号がコロコロ替わるという事は、
まさに激変の時代であり、
戦や病気の蔓延、飢饉などが頻繁に繰り返されていたんじゃないかと思います。

戦国時代などでは、
人や領土を得るための奪い合いの「戦」も沢山あって。
そのお陰で、
自分たちが生きる、
今の国勢が出来上がったのだと考えられます。
国が一つになった訳です。
国として「一つ」にまとまった事で、
明治時代からの発展は凄いスピードで進んだのではないかと思います。

これはあくまで、
自分の想像です。

まあ、
だからと言って何なのだ?というお話しでした。

ダラダラと思った事を書きましたが・・・。

こういう事を、
フッと思いつき、
すぐに「調べられる」のもインターネットの威力です。

何でもスピーディに知ることが出来ますね。便利です。

今日書いたのも、
Wikiでの「にわか調べ」ですから・・・。

ここで知ったコトは、
お手軽に入手できる分、
とても「浅い」ものです。
自分の知識でも何でもないのです。
誰かの知識であって、
「自分が知っている」事にはならない。
だから、
単なる「ウケウリ情報」なのです。
この事を自分で留意しておかなくてはいけない。
忘れてはいけないと思うのです。

インターネットで何でも知る事が出来る現代は、
人の知識をいくらでも引用できるので、
それなりの「責任」も生まれる様な気がします。

だとすれば、
「人の知識を借りて書いているんだ」。
という「ふんべつ」を持たないと、
本当に危険な事になる可能性が大きいのだと思います。

やはり、
自ら体験したり、
専門性をもって学んだ人に、
勝るものはないんじゃないかと思います。

思えば、
祖母からは、
ほとんど昔の話しを聞いた記憶が無いです。

今度聞いて見たいと思いますが・・・。

大正時代の女性は、
過去の話しや、
自分自身の話しをしない。
と母が言っていたのを思い出しました。

ホントなのかな?

 

 

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