放てば手に満てり

放てば手に満てり


まずは3年前の記事の転載から。
ちなみに写真と記事の内容はまったく関係ありません。(私の心理描写と捉えてください)

一昨日、祖母が誕生日をむかえました。年齢を聞いたら99歳でした。
母たちが白寿の「誕生祝い」をしたそうです。
自分も顔を見たかった。

自分の「ばあちゃん」は長寿なほうだとは思っていましたが、
実年齢で99歳と聞くと、
改めて、「年齢」の持つ重厚感を感じます。

 

 

99年前というと、
西暦だと1917年になります。元号では大正6年。
ロシア革命が起きた年と聞くと一気に凄さを感じます。

大正、昭和、平成と三つの「元号」を生きていて、
その間の文明の進歩を見てきた事になりますね。

 

 

祖母が生まれた頃、
「電話」は既にあったとは思いますが、
かなり特別なものだったのは容易に想像できます。

もちろんテレビ等はまだありません。

そういう時代から今の時代までを見てきているって、
「凄い事なのでは?」と思ってしまいます。

本人に会って、
「どう思う?」って聞いてみたいけど、
こういうのは意外とうまく伝えられず、
ちゃんと聞けないモノの様な気がします。

 

 

特に今は、
何をするにもインターネットの存在を、
無視出来ない世の中になっています。

生活するうえで「インターネット」が使えないとダメ。
という訳ではないので、
触れないで生きていく事も普通にできますが・・・。

99歳。元気印のばあちゃんはインターネットの存在も知りません。
それでも普通に生活しています。
もちろん、携帯電話やスマホも持っていません。

スマホを使いコナしていたら、それはそれで恐ろしいのですが。

 

と、
ここまでは3年前の記事ですが、
先日その祖母が102歳の大往生を遂げました。
大正→昭和→平成。
そしてもう少し頑張れば自身四つ目の年号を生きることになったのですが、
本人からすればもう十分だったのでしょうね。

そしてその法要。

その時に、
お寺のご住職さんが語ってくれたお話し。
「放てば手に満てり」というお話しが、私の中で妙に腑に落ちたので、
今日はそのお話をちょっと。

このお話は、
曹洞宗の偉い和尚様が語った話しとして有名らしいので、
知っている人は多いと思いますが、
自分にとっては、
「うん、あるある。」と納得のいく話しだったので、
忘れない様にここに書き留めておくことにしました。

 


梅田川に佇むニャンコ先生。

 

物や人への執着、または名誉や名声への執着。
人は何でも多くを欲しがりますね。
この場合はどちらかと言うと、
物と言うよりも人からの人望などを指す意味の様ですが。

何でもかんでも手にして握っていたら、
もうそれ以上は「掴めないよ」。

思い切って全部手放したほうが良い。
そうしたほうがあなたが欲しい物が、
また違った形で手に「満たされる」でしょう。

こういう事らしいのですが、妙に納得でした。

 

自分を取り巻く日常の人間関係。
上手くいかない事も多々有りますが。
良く考えてみると、
「当てはまるよな、この話し」と思えました。

私自身、
仕事やお客さん、友人との関係でも、
ついあれもコレもと多くのことを伝えすぎる。
そして多くの人からの理解を得ようとしたりしがちです。
しかし、
そういう時は得てして自分が思った結果は得られないものです。

母曰く、
亡くなった祖母は無欲で「なるようになるさ」という性格だったそうです。
無欲かぁ、、、。簡単そうで難しいよな。

 

奥が深いのにとても解り易いお話しだと思いました。

つたないお話を最後まで見てくださりありがとうございました。

 

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